プルートの消えた日

もちろん消えてません。
冥王星は惑星という分類ではなくなった』
というだけのこと


今回の騒動でショックを受けたという方は
多いのではないでしょうか?
私は今回の採決は当然であると認識しております。
元々、冥王星は軽質量で楕円軌道で
軌道面がズレている天体でしたから
いままで惑星と分類していたことが間違いであると
常々感じていました。
それは発見者クライド・トンボー氏を責める考えではありません。
冥王星発見の経緯は天文学系のサイトで
詳しく解説しているでしょうから
ここでは申しませんが
大質量衛星のカロンとの二重化が
当時の観測技術では見抜けなかったという
技術的限界があったからのある種の誤解が
冥王星を惑星としてしまいました。


逆にいえば
パーシヴァル・ローウェル氏の予言があったとはいえ
技術的な限界を超え冥王星を発見したトンボー氏は
賞賛すべき大功績であることは
冥王星が惑星から外れた今も変わらないと考えています。


さて
ここで私が言おうとしている事は
冥王星が惑星か否か」という論議ではありません。
「私たちが今信じている常識は変わるものである」ということです。
教科書に載っているから
参考書に書いてあるから
といって
その内容を鵜呑みにしていませんか?


多くの方が教科書に書いてあることは
真実だと受け止ているのが現状だと思います。
しかし残念ながらそうではありません。
もちろん日本における教科書編成に文句を
付けようというのではありません。
教科書に載っていることは
現在の日本で常識でありほぼ真実であることは
疑う余地もありません。


しかし
例えば歴史の教科書ではその特徴が顕著であります。
多くの方が源頼朝織田信長のものと信じている絵は
本人を似せて描いた物でないことは有名な話です。
それ以外にもゴッドハンド事件による捏造や
「歴史は戦勝国が作る」という言葉通り
歴史の教科書は全て真実ではありません。


歴史の教科書は日本の歴史問題や先にあげた例によって
全てを鵜呑みにしない人は多いかもしれません。
しかし
それが物理の参考書や医学の専門書だった場合はどうでしょう?
おそらく99%以上の人がその内容を鵜呑みにするでしょう。
しかし
物理や医学だって今の常識が全て真実だとは
言い切れません。
ガリレオの「それでも地球は回っている」という言葉は
中世の宗教問題がそうさせたのだ、現在ではありえない
と高をくくってませんか?
ガリレオの言葉は後世の創作らしいですが)


いいえ
そうではありません。
現在の科学も
現在の学会で
「正当である」
または
「ほぼ正当であると思われる」
という取り決めによって
その正当性を保っています。
ですから
今回の冥王星騒動のように
学会が取り決めを変えれば
現在の科学的常識も変わってしまうのです。


それは科学という括りに限った話ではありません。
私たちの身近な習慣や常識などの先入観は
いつか変わってしまうかもしれません。
それに固執するあまり
本当の真実(と思われるモノ)を見失うかも知れません。


「常識というモノは、主観的で、相対的で、流動的である」のです。